東京高等裁判所 平成9年(う)252号 判決 1998年4月27日
主文
原判決を破棄する。
被告人を禁錮二年に処する。
この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。
原審及び当審における訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人石井春水、同新井旦幸、同河本仁之作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官尾崎幸廣作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。
当裁判所は、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討し、以下のとおり判断する。
第一 本件事案の概要
各論旨について検討する前に、本件の事実関係を見ると、原判決がその(争点に対する判断)において、第一事実関係の一の1ないし3として記述するところ(ただし、同3の(8)〔原判決書五五頁ないし五六頁〕は除く。)が、ほぼ是認できるが、なお事実関係の概略は、次のとおりである。
千葉県は、国分川下流域の洪水防止を目的とした河川改修事業の一つとして、国分川分水路建設を進め、その分水路の一部の約二五〇〇メートルのトンネル建設を、三つの区間に分けて建設業者に発注し、同中流区間を飛島建設株式会社(以下、「飛島建設」という。)が請け負って、トンネル掘削工事を行っており、トンネル上流部の水門建設を清水建設株式会社(以下、「清水建設」という。)が請け負い、同水門建設工事の一環として、トンネル坑口前には東西約八七メートル、南北約七〇メートルの掘削地が作られていた。千葉県は、右国分川分水路建設工事の監督等の業務を行うため、同県土木部の出先機関として、真間川改修事務所(以下、「改修事務所」という。)を設けており、被告人は、平成二年四月から改修事務所国分川建設課長の職にあった。トンネル坑口には、従前あったトンネル内のバルクヘッド(隔壁)に代わって、周辺河川からの溢水がトンネル内に流れ込むのを防止する目的で、H鋼と横矢板を主体にし、前面にジャンボ土嚢を積み上げた構造物(以下、「仮締切」という。)が作られ、被告人はその設計委託や建設施工に関与し、平成三年六月半ばころ完成した仮締切は千葉県に引き渡されて、その管理は改修事務所国分川建設課の所管になっていた。平成三年九月一九日は、台風が関東地方に接近し、朝から雨が降り続き、千葉県土木部河川課から水防指令が出され、改修事務所においても水防パトロールに当たり、被告人も、同日午後同パトロールに出掛け、前記トンネル坑口の水門工事現場付近を見回った。同日午後四時すぎころから特に雨が激しくなり、前記掘削地東側の周辺では河川から水が氾濫し、同東側を流れる和名ヶ谷用水路から溢れるなどした水が、周囲の盛土部分の仮設道路を越えて掘削地内に流れ込むようになり、午後四時半ころからはその量が一層多くなり、午後四時五二分ころ、水門工事を行っている清水建設の現場作業所の小森裕幸から、改修事務所にいた被告人に電話で、「和名ヶ谷用水路側から水が入り、仮設道路を四、五メートルの幅でオーバーフローしてきた。水の勢いが強くて止められそうにありません。」旨の連絡(以下、「小森からの連絡」という。)があり、被告人は、午後四時五五分ころ、飛島建設の現場作業所にいる現場代理人の奥山正人に電話をし、「上流の水門工事現場の方で周りにある土手が崩れて、水門工事現場に水が流れ込んでいる。清水建設の方が土嚢を積んでせき止めている。」旨伝え(以下、「被告人の奥山への一回目の電話」という。)、さらに午後五時ころ、被告人は奥山に電話をし、「今後は清水建設と直接連絡を取り合って欲しい。まだ、大丈夫ですから、切羽の吹き付けをして下さい。」旨伝える(以下、「被告人の奥山への二回目の電話」という。)などした。同日午後五時一八分ころ、掘削地に貯まった水の水圧で仮締切は決壊し、一挙に大量の水がトンネル内に流れ込んで、その濁流に呑み込まれるなどして、トンネル内にいた飛島建設の社員及びその下請企業の作業員ら七名が溺れ死んだ、というものである。
第二 控訴趣意第一の法令の解釈、適用の誤りの主張について
一 論旨
原判決は、本件請負契約書一二条二項一号において、監督員は、請負契約の履行に関して、請負人またはその現場代理人に対し指示する権限を有すると定めており、この監督員の権限は発注者側の権限であるとして、発注者側に工事施工に関して一般的な指示監督権限があることを認め、その上で、このように発注者側に一般的な指示監督権限があるときには、工事の施工に関して一定の危険な事態が発生した場合に、その損害発生を防止するために、発注者においても災害を防止すべき義務を負うことがあるとし、同契約書二〇条四項に天災等発生時の工事中止義務が定められているのも、発注者側の工事に対する指示監督権限の行使が義務とされる場合があることを示すものであり、本件の場合のように、仮締切決壊という危険の発生が差し迫り、その結果分水路トンネル坑内で作業に従事している作業員の生命、身体にまで危険が及ぶような状況下においては、発注者側でも、工事の安全施工を目指す立場に基づき適切に指示権限を行使して、工事を中止させ作業員らを緊急退避させるべき注意義務を負担するというべきであり、それは、仮締切の管理責任を負担していたことによっても裏付けられるとして、被告人に、飛島建設に対して作業の中止を指示し、作業員らを緊急退避させるよう指示すべき業務上の注意義務がある、としている。
しかしながら、公共工事においては、地方自治法二三四条の二にあるように、注文者である県の担当監督員は、工事目的物が契約の内容に適合するかどうかを確認し、契約の適正な履行確保のための監督権限を有するが、それは検査の補完的な意味を持つに過ぎず、さらに、その具体的内容は、個々の請負契約書及び土木工事標準仕様書で個別に約定されるところ、本件請負契約約款(本件請負契約書に同じ)一二条二項一号は、監督員の監督を必要最小限度にとどめ、請負者の自主的な工事の施工を確保する趣旨から監督員の権限の範囲を明確にしたものに過ぎず、発注者側に直営工事のような一般的指示監督権限を認めたものではなく、また、同約款二〇条四項は、請負者の帰責事由によらずに工事の施工ができない場合に、損害等の負担を請負者が負うことになるのを避けるため、発注者側の工事中止義務を規定したものであり、しかも、同約款二四条一項、一三条三項、土木工事標準仕様書一一二条一項においては、請負者に専ら災害防止義務があることを定めており、また、仮締切の管理責任の点については、仮締切が仮設工作物のため管理規定等がなく、仮締切は設計された機能を維持していたのであるから、その管理に瑕疵はなかったというべきである。
そうすると、原判決が、被告人には、請負契約上の一般的指示監督権限を有し、かつ仮締切を管理する者として、仮締切決壊の危険が発生した場合は、飛島建設に対しトンネル坑内の作業の中止を指示し、作業員らを緊急退避させるよう指示すべき業務上の注意義務がある、と認めたのは、地方自治法二三四条の二第一項の解釈適用を誤り、本件請負契約約款一二条二項一号、二四条一項、一三条三項、二〇条四項、土木工事標準仕様書一一二条一項の各解釈も誤ったものである。
二 当裁判所の判断
1 原判決の理解について
原判決は、「被告人の奥山に対する工事施工に関する指示権限の有無について」と題する項において、本件請負契約書一二条二項一号には、監督員は「請負契約の履行に関して乙(請負人)又は乙の現場代理人に対する指示、承諾、又は協議」をする権限を有すると定める規定があり、しかも、右「指示」について、土木工事標準仕様書一〇二条(4)は、「指示とは、監督員が請負者に対し必要な事項(方針・基準・計画等を含む)を示し実施させることをいう。」と規定し、明らかに請負人側に対する拘束力を定めており、監督員の定めは、事務の能率を図るために設けられたに過ぎないので、監督員の権限は発注者側の権限である、としている(原判決書五六頁ないし五九頁)。その上で、原判決は、「右指示(被告人の電話による奥山に対する吹き付け・作業継続の指示)を出したことは被告人の有する工事施工に関する指示監督権の行使として」(同七五頁)、「被告人に、飛島建設との間の請負契約に基づいて工事施工に関する指示監督権限があるというべきことは前述(前記同五六頁ないし五九頁を指す)のとおりである」(同八一頁)、「千葉県には工事施工に関し、一般的な指示監督権限があった(契約書一二条二項一号)のであり、」(同八三頁)、「発注者側が本件のように一般的な指示監督権限を有している場合には、」(同八四頁)と判示している。これらの判示は、原判決が、本件請負契約書一二条二項一号を根拠に発注者側に一般的指示監督権限が認められる、としているものと解される。
原判決は、右のように発注者側にその一般的指示監督権限を認めた上で、「前述のとおり、千葉県には工事施工に関し、一般的な指示監督権限があった(契約書一二条二項一号)のであり、しかも従来からこの権限を行使していたことが窺われる。確かに、弁護人の主張するとおり、請負契約の性質上、指示監督権限があるからといって、一般的には、そのことからそれに対応する義務までがあるとはいうことができず、千葉県の負担すべき監督義務は、原則として個々の請負契約において約定される範囲に限定されるということができる。しかしながら、それ以外にはいかなる場合においても工事発注者側が監督義務を負担しないということを意味するわけではなく、発注者側が本件のように一般的な指示監督権限を有している場合には、当該工事が人的にも物的にも安全に施工されるべきことは工事の履行が適切になされるための当然の前提であるから、当該工事に関して一定の危険な事態が発生した場合には、その損害発生を防止するために、工事発注者側においても災害を防止すべき義務を負う場合があるというべきである。(中略)そして、本件の場合のように、仮締切決壊という危険の発生が差し迫り、その結果分水路トンネル坑内で作業に従事している作業員の生命、身体にまで危険が及ぶような状況下においては、たとえ発注者側であっても、工事の安全施工を目指す立場に基づき適切に指示権限を行使して工事を中止させ作業員らを緊急退避させるべき注意義務を負担しているというべきである。そして、このことは、被告人が以下に述べる仮締切の管理責任をも負担していたことによって裏付けられるというべきである。」(原判決書八三頁ないし八六頁)と判示し、さらに、「本件仮締切の管理責任について」と題する項において、「被告人には、仮締切決壊の危険性に注意を払い、分水路トンネル坑内の作業員らの生命、身体の安全を確保し、その危険から防護すべき義務があるというべきであり、」(同八九頁ないし九〇頁)と判示し、結論として、「以上のとおりであり、被告人には、飛島建設に対して請負契約上の指示監督権限を有する者として、かつ仮締切を管理する者として、仮締切の現状に注意を払い、仮締切決壊の危険が発生した場合には、分水路トンネル坑内の作業員らの生命、身体に対する危険を回避するために、当該危険の発生を中流工区の作業を担当する飛島建設に伝え、飛島建設に対して作業の中止を指示し、作業員らを緊急退避させるよう指示すべき業務上の注意義務があったというべきである。」(同九一頁)と判示する。これらの判示は、要するに、発注者側に一般的指示監督権限があるからといって、それに対応する義務、すなわち災害防止の面でいうならば、災害防止のための指示監督義務が常にあるとはいえないが、しかし一定の危険な事態が発生した場合には、発注者側も災害防止義務を負う場合があるとし、その上で具体的に、本件では、仮締切の決壊によりトンネル内の作業員らの生命等が侵される危険があった場合であり、その仮締切について管理していたのであるから、発注者側としては、災害防止義務の具体的内容として、請負者側に工事を中止させ、作業員らを緊急退避させるよう指示すべき義務があった、としているものと解される。
2 判断
そこで、原判決の認める発注者の一般的指示監督権限及び災害防止に関する義務の存否について、検討する。
(一) 発注者の請負者に対する監督権限については、所論の指摘する地方自治法二三四条の二が存在するが、それは、発注者側の地方公共団体の職員を名宛人として、監督の一般的な目的、指針を示したものに過ぎず、監督権限の具体的内容は、そこからは導かれず、結局個別的な請負契約の内容によって決められるのであり、公共工事に関しては、建設業法に基づいて設置された中央建設業審議会が作成した公共工事標準請負契約約款が存在し、本件千葉県と飛島建設との請負契約においても採用されている。そこで、本件請負契約の内容をその契約書に即してみると、本件請負契約書一二条二項は、発注者側の監督員の権限として、契約の履行についての請負者に対する指示、承諾又は協議等を定めるものの、同契約書一条二項は、「この約款及び設計図書に特別の定めがある場合を除き、仮設、工法等工事目的物を完成するために必要な一切の手段については、乙(請負者)が定めることができる。」とし、施工方法等の請負者による自主選択を明らかにしており、これは、工法選択の自由のみならず責任施工をも定めたものと解されるのであり、しかも、監督員の権限を定めた右一二条二項も、「設計図書で定めるところにより」としているのであるから、同条項は、監督員の権限として、あらかじめ設計図書で定められているところ以外にも及ぶ一般的、包括的な、請負者の自主施工までも侵すような権限を認めているものではないといえる。しかし一方、同条項に定める監督員の権限は、基本的な契約の履行に関する指示や、設計図書に基づく工事の施工のための詳細図等の作成及び交付、設計図書に基づく工程の管理、立会など、広範にわたっており、さらに同契約書一四条は、発注者側の措置要求について、「工事の施工又は管理につき著しく不適当と認められるものがあるときは、乙(請負者)に対して、その理由を明示し、必要な措置をとるべきことを求めることができる。」と定め、同契約書二四条一項は、請負者が災害防止等のため臨機の措置をとる際の監督員からの意見聴取を定め、同三項は、監督員自身に災害防止その他工事施工上のための臨機の措置要求権限を認めている。さらには、同契約書三条によれば、発注者には、請負者間の関連工事の調整権限をも認めている。こうしてみると、本件請負契約書において認められている、監督員を介するなどして行われる発注者の請負者に対する監督権限は、対象が広範囲にわたり、工事施工のためばかりでなく、安全確保や災害防止のための権限も含まれているのであり、本請負契約においては、発注者に対象が広範囲にわたる監督権限が認められているといえる(もっとも、その権限の発動としての具体的行為は、さまざまの形態があるといえる。)。原判決が前記のごとく発注者に一般的指示監督権限が認められているとしたのも、右と同趣旨の権限が認められていることを示しているものと解されるのであって、その根拠を本件請負契約書一二条二項一号にのみ求めた点において適切さを欠くものの、結論において誤りはないといえる。
(二) 次に、発注者に右のような広範囲にわたる監督権限が認められるとき、本件で問題となっている安全確保や災害防止の面に関して、発注者がいかなる立場に立ち、責任を負うことがあるのか検討する。
発注者に広範囲にわたる監督権限が認められるとしても、本件請負契約書一条二項は工法等の工事施工の方法の選択権が請負者にあることを定めて、請負者の自主施工の基本を明らかにしており、それは、工事施工の手段・方法の選択が請負者に委ねられるとともに、工事施工の責任が請負者にあることを意味するのであり、本件請負契約の対象である工事目的物及び契約の実態からしても、右の請負契約の基本が変わっているとは認められない。そうすると、本件請負契約においては、工事施工上の安全確保や災害防止に関しては、請負者が第一次的に直接の責任を負うといえるのであり、発注者は、右の広範囲にわたる監督権限が認められているので、請負者自身が行う対策や措置の不備・不足を是正させるため監督すべき二次的責任があるというべきである。しかし、発注者は、工事施工上の安全確保や災害防止に関して、直接責任を負うことなく、常に二次的な監督責任しか負わないとはいえない。例えば、民法七一六条は、発注者の注文、指図に過失があるときは賠償責任がある旨定め、発注者も事故防止に責任を負う場合があることを認めており、本件請負契約書も、二五条は一般的損害について、「工事目的物の引き渡し前に、工事目的物又は工事材料について生じた損害その他工事の施工に関して生じた損害については、乙(請負者)がその費用を負担する。ただし、その損害のうち甲の責めに帰すべき事由により生じたものについては、甲(発注者)が負担する。」と定め、二六条は第三者に及ぼした損害について、「一項 工事の施工に伴い通常避けることができない騒音、振動、地盤沈下、地下水の断絶等の理由により第三者に損害を生じたときは、甲がその損害を補償しなければならない。二項 前項に定めるもののほか、工事の施工について第三者に損害を及ぼしたときは、乙がその損害を補償しなければならない。ただし、その損害のうち甲の責に帰すべき理由により生じたものについては、甲がこれを負担する。」と定めており、事故や災害について発注者に責任がある場合を予定し、言い換えれば、発注者に安全確保や災害防止の直接的義務がある場合を認めているのである。この点、原判決も、一定の危険な事態が発生した場合は、発注者も災害防止義務を負うとするのである。
そこでさらに、発注者に直接的な安全確保や災害防止の義務が認められる場合について考察すると、発注者が自ら工事施工のための場所、施設、機械器具等を提供しているときは、その設置・管理に当たって、工事施工上の安全の確保に配慮すべき義務を負うものと解せられる。もっとも、発注者が工事施工のための場所、施設、機械器具等を提供したときでも、その管理については請負者に委ねられ、請負者が直接管理している場合も多いと考えられるが、そのような場合は、その管理に関係する右の安全配慮義務は、請負者が優先して負うものといえる。しかし、そのような請負者が直接管理している場合は別として、発注者が設置しあるいは管理支配している場合には、その設置あるいは管理支配に伴う右の安全配慮義務は、発注者において負うべきものといえる。そして、このように発注者において安全配慮義務を負う場合、その具体的内容は、発注者の設置・管理支配する対象及び予測される危険など、当該安全配慮義務が問題となる具体的状況によって決まるといえる。そこで、本件請負契約の状況をみると、仮締切は、トンネル内での工事の施工の安全確保や災害防止のため発注者において設置し、管理支配も、トンネル内で工事を行う請負者に委ねられることはなく、発注者において行っていたと認められるのである。そうすると、発注者が、仮締切の設置・管理に当たって、工事施工上の安全確保に配慮すべき義務を有し、具体的状況として仮締切の決壊の危険があったのであるから、その決壊による大量の水の流入による溺死等の危険から免れさせるため、トンネル内で作業をする作業員らを緊急退避させる措置をとるべき義務(以下、「緊急退避措置義務」という。)が、発注者にあったものと認められる。そして、発注者である千葉県側において実際に仮締切の設置及び管理支配を担当していたのは被告人であるから、右の緊急退避措置義務は、被告人が負うものといえる。なお、この義務の履行方法は、個々の具体的状況によって異なるというべきで、請負者の現場管理人に退避措置をとるよう連絡・指示する、あるいは現場の作業員に直接退避するよう連絡・指示するなどが考えられる。
したがって、原判決が被告人について緊急退避の指示義務を認めた結論は是認でき、原判決に所論がいう判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の解釈、適用の誤りはないといえる。
第二 控訴趣意第二の事実誤認の主張について
一 結果発生の予見可能性に関して事実誤認をいう点
1 所論は、原判決が、清水建設の小森から、午後四時五二分ころ、仮設道路を越えて水が入ってきた旨通報があった時点において、仮締切前面の掘削地が満水となり、その水圧によって仮締切が決壊することは、被告人において予見可能であった、と認定している点について、被告人にとって、掘削地が満水となる、すなわち掘削地内の水位がYP+八・〇〇メートルに達するということは、当日の状況及び過去の事例などからしても予見不可能であり、また被告人は、水位がYP+八・〇〇メートルを超えても、仮締切が決壊することはないと考えていたので、仮締切の決壊を予見することは不可能であったから、これらについて予見可能性を認めた原判決には事実誤認がある旨、主張する。
2 原判決は、その「予見可能性の存在について」と題する項(原判決書九一頁ないし一〇一頁)において、「本件において、被告人に過失があったというためには、さらに仮設道路を越えた水で仮締切が決壊し、作業員の生命、身体に対する危険が発生することを被告人が認識できたこと、つまり予見可能性があったことが必要である。」(同九二頁)とした上、この点について検討するとして、「台風の影響による大雨で、和名ヶ谷用水路が増水し、仮設道路を越えて水が間断無く、しかも流入する幅を徐々に広げながら掘削地内に流入していたのであり、しかもなお激しく降り続く雨のため、今後ますます水が流入することが予想されたのであるから、右掘削地内が満水となるのはたやすいことであり、被告人においても、右差し迫った状況を十分認識していたということができる。」(同九六頁ないし九七頁)とし、また、「仮締切の耐用水位(強度)も同様にYP+八・〇〇メートルとして設計され(中略)、被告人においては、本件仮締切の耐用水位を十分に知悉していたものと認められる(中略)。したがって、被告人にとっては、(中略)掘削地内の水位が仮締切の強度限界であるYP+八・〇〇メートルまで到達することはもはや時間の問題であることを予測するのは極めて容易であったというべきである。」(同九七頁ないし九九頁)とし、さらに、「なお、仮締切の設計水位(耐用水位、強度)がYP+八・〇〇メートルであったという点に関して、被告人は、仮締切の設計水位、つまり強度として提示したわけではない旨供述する。しかしながら、(中略)強度の問題ではなく、単に水位の設定としての数値を提示したというのはいかにも不自然であり、(中略)したがって、本件仮締切の強度は被告人が齋藤との打ち合わせの場においてYP+八・〇〇メートルと決定したことは明らかである。」(同九九頁ないし一〇一頁)と判示する。すなわち、原判決は、流れ込む水によって掘削地内が満水となることを被告人は認識でき、一方で、仮締切の設計水位がYP+八・〇〇メートルで、その設計水位が耐用水位、すなわち強度の限界であることを、被告人は知っていたのであるから、掘削地内が満水となり、YP+八・〇〇メートルの水位まで達し、やがて仮締切が決壊するだろうということは、被告人に予測できたとして、仮締切の決壊によるトンネル内の作業員らの生命、身体の危険に対する予見可能性を肯定するものと解される。
3 本件における致死の結果発生の予見可能性の問題について考えると、トンネル内の作業員らを仮締切の決壊による生命等の危険から免れさせるため、緊急退避措置義務が認められるとしても、それが本件業務上過失致死罪における注意義務として認められるには、仮締切の決壊による作業員らの死亡という結果の発生の予見可能性が、存在することが必要であるところ、本件では、仮締切が一旦決壊すれば、せき止めていた大量の水が一気にトンネル内に流れ込み、中で作業をする作業員らが、生命、身体の危険にさらされ死亡する可能性が非常に高いことは、何人にも容易に予見できたといえるので、結局、作業員らの死亡という結果発生の予見可能性の問題は、仮締切の決壊の予見可能性の問題に帰着するといえる。
4 そこで、仮締切の決壊の予見可能性の有無について検討すると、本件における緊急退避措置義務は、一旦決壊すれば死者が出る確率が高い仮締切の決壊の危険性から、トンネル内の作業員らの生命を守るためのものであるから、その前提となる予見可能性において予見すべき対象である仮締切の決壊の可能性は、必ずしも高度のものが要求されないといえる。そして、掘削地内に流れ込む水の状況に関しては、原判決が判示するとおり、当日の雨の状況及び周辺の河川の増水や周辺地の冠水の状況等から、和名ヶ谷用水路から溢れた水が掘削地に流れ込むであろうし、その流れ込む水の量はますます増えるであろうことは容易に予測でき、清水建設の小森から現に水が流れ込んでいる旨知らされた後は、それがより確実に予測できたといえるのである。掘削地に貯まる水の状況に関しては、掘削地は、東西約八七メートル、南北約七〇メートルで、周囲が底面から五メートル以上の盛土で囲まれた池のようになっており、流れ込んだ水は、流れ出すところがなく貯まる一方であることは明らかであり、水が流れ込んでその量が増えれば、貯まった水の水位がますます上がり、仮締切及び堤防の役割を果たす周囲の仮設道路と同じ程度の高さ(最低でもYP+八・〇〇メートル)に達することは、十分予測できたといえる。次に仮締切の強度の点に関しては、原判決も判示するとおり、仮締切はYP+八・〇〇メートルの水位を想定して設計され、それは高さのみならず強度の点においても、YP+八・〇〇メートルの水位までは耐え得るとの計算であったのであるから、水位がYP+八・〇〇メートルに達すれば、それは仮締切の強度の限界に近いものであると予測できたといえる。のみならず、耐用水位すなわち強度が、YP+八・〇〇メートルを想定して計画されたものの、実際の仮締切の設計、製作の段階において、構造・材質・施工の諸点で想定される水位の水圧に耐え得る強度を持つかどうか、綿密に計算され十分に考慮を巡らされることがなく、したがって想定した水位に対しても強度の点で不確実さがあり、仮締切のYP+八・〇〇メートルの耐用水位については確実性があるものではなく、被告人自身も、仮締切の設計段階及びその施工工事の途中において関与することによって、右の仮締切の強度の状況について、十分に認識できる立場にあったといえるのである。そうすると、掘削地内に流れ込む水が、やがてYP+八・〇〇メートルの水位を超えるまでに達し、仮締切がその水圧に耐えきれなくなって決壊する可能性があることは、被告人に予見できたものと認められる(なお、所論は、実際にはYP+八・〇〇メートルの水位を超えた時点で仮締切が決壊したことをいうが、事前の予見可能性の問題であるから、事後に生じた現実との間の相異があっても差し支えなく、しかも仮締切は、その構造・材質等から前記のごとく想定されたYP+八・〇〇メートルの耐用水位をもつか不確実なところがあり、最終的には右水位を越えた時点で決壊したものの、実際にはそれ以前から破壊現象が進行していた可能性があったことからすれば、仮締切の実際の決壊状況によって、事前の決壊の予見可能性が否定されることはないといえる。)。
二 被告人の奥山への二回目の電話の内容に関して事実誤認をいう点
1 所論は、原判決が、右電話の内容として、「今後は清水建設と直接連絡を取り合ってほしい。私も清水建設の方にその旨連絡しておきます。まだ大丈夫ですから、切羽の吹き付けをして下さい。」旨認定したことについて、(1)被告人は、奥山に「まだ大丈夫ですから」ということは言っていない、(2)被告人の言った右「吹き付け」は、原判決がいうように、作業中断に伴う作業工程外の特別の吹き付けを意味するものではなく、通常工程上の吹き付けを意味するに過ぎないと解すべきである、という。
2 そこで、改めて本件公訴事実の内容を考察すると、公訴事実においては、「右仮設道路を越流してきた濁流が、同仮締切前面の掘削地に貯溜すると、その水圧により、同仮締切が決壊して多量の濁流が同分水路トンネル内に流れ込み、右作業員の生命に危険が及ぶことを予見し、直ちに、右飛島建設株式会社に対し、その作業員を分水路トンネル内の工事現場から緊急退避させるよう指示すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、」とあるのであって、本件で過失とされているのは、緊急退避させる義務を怠ったということであり、基本的には退避させなかった不作為が過失とされていると解される。そして、その不作為としての過失は、右緊急退避させる義務が発生すると同時(具体的には小森からの連絡があった時点)に始まり、仮締切の決壊による危険を避けるのに間に合うように退避をさせないまま継続して、作業員らの死亡という結果をもたらした、とされていると解される。なるほど、本件公訴事実では、「午後四時五五分ころ飛島建設株式会社現場代理人奥山正人に電話をした際、仮設道路から越水した事実を伝えたのみで緊急退避の指示をしなかった」こと、及び「午後五時ころ同様奥山に電話をした際、トンネル掘削現場の切羽にコンクリートの吹き付けをするよう指示して、作業員に同分水路トンネル内の作業を継続させた」ことが、挙げられているが、これらは、右の不作為としての過失を犯すについての事情を示しているに過ぎず、それ自体が過失行為を構成するというものではないと解される。
なお敷衍すると、緊急退避させる義務の内容としては、退避させなければならないという内容と、退避を妨げることをしてはならないという内容も含まれていると解することは可能であり、被告人の奥山への二回目の電話で吹き付けを指示したことは、単に退避させなかったというだけでなく、右後者の退避を妨げたという内容も含むものと、一応解釈することもでき、原判決も、その判文全体からすると、右吹き付けの指示について、退避させないという不作為の面のみならず、吹き付けの作業を継続させて退避を妨げあるいは殊更遅らせたという作為の面をも、過失ととらえていると解されるのである。そこで、右二回目の電話での吹き付けの指示に、退避をさせないという以外に、退避を妨げあるいは殊更遅らせたという、積極的に緊急退避させる義務に違反したような内容が認められるかであるが、右吹き付けの指示が退避を妨げあるいは殊更遅らせたと考えられる場合としては、通常の作業終了時刻とともに作業員らがトンネル内から引き上げる予定であったのに、吹き付けの指示によりそれが妨げられたという場合と、奥山の直前の引き上げ指示により作業員らはトンネル内から引き上げて、本件災害に遭うのを免れることができたのに、吹き付けの指示により奥山の指示が取り消されて退避が妨げられたという場合が考えられる(原判決は、奥山の引き上げ指示が、被告人の電話により取り消されることなく伝えられておれば、作業員らは本件災害に遭わなかったとしていることからすると、後者の場合を指していると解される。)。しかしながら、仮締切の決壊が昼番の作業終了時刻の前後ころに起きたことは認められるものの、その終了時刻自体が必ずしも常に一定していたわけではないので、被告人の吹き付け指示がなければ、作業員らが通常通り作業を終えて引き上げ、本件災害に遭わなかったとまで認めるに足る証明はなく、また、奥山の引き上げ指示も、仮締切決壊の可能性を認識した上での寸刻を争う緊急退避の指示ではなかったので、たとえそれが取り消されることなく伝えられていたとしても、作業員らが直ちに引き上げ、本件災害に遭わなかったとまで認めることはできず、被告人自身も、右作業終了時刻について明確な認識がなく、また、奥山の右指示の存在を知らないので、自己の指示がそれを取り消すものであるとの認識もなかったのであるから、被告人の吹き付け指示が、退避を妨げあるいは殊更遅らせて、作業員らが本件災害に遭遇するについてより危険な状況をもたらしたとは認めることができず、結局、被告人の吹き付けの指示は、退避させないという不作為としての前記義務違反を構成するにとどまるものといえる。
さらに付言すると、原判決は、公訴事実にある午後四時五五分ころの奥山への一回目の電話において、奥山に退避指示をしなかった行為は、その後奥山自身によって、トンネル内での作業を中止し引き上げるようにとの指示がなされたことによって、本件作業員らの死亡の結果との因果関係が否定されるとして、過失行為とは認められないとの判断を示している。しかし、本件での過失は、前記のとおり、緊急退避させる義務の発生と同時に始まっている退避をさせなかったという不作為にあるのであり、もし被告人による退避の指示が、右奥山の指示より以前になされておれば、作業員らの死亡という結果は避けられ、また、右奥山の指示も実際には伝えられず、作業員らはトンネル内に留まっていたので、依然緊急退避させる義務は存続したというべきであるから、奥山の引き上げ指示以前の被告人の退避させなかったという不作為による過失と、作業員らの死亡の結果とは因果関係があるといえるし、奥山への二回目の電話の際退避指示をしなかったというのも、緊急退避させる義務違反の過失がなお継続したというに過ぎず、その時点で新たな過失行為があったことを意味するものではないことは、前記のとおりである。したがって、原判決が、一回目の電話の際退避指示をしなかったことの過失行為性を否定し、二回目の電話での吹き付け指示以降のみが過失行為に当たると判断しているのは(原判決が判断するがごとく、一回目の電話で退避指示をしなかったことが、因果関係の否定によりその過失行為性が否定されるとするならば、それ以前の退避指示をしなかったという不作為も、同様過失行為性が否定されることになり、二回目の電話で退避指示をしなかったことにより、改めて過失が犯されたということにならざるを得ない。)、事実誤認というほかない。しかし、それは過失の一部を否定したにとどまるから、直ちに判決に影響を及ぼすものではないといえる。
3 右のとおり、被告人の過失は、緊急退避をさせなかった不作為にあるとすると、奥山への二回目の電話の内容に関して所論が前記のごとく事実誤認を主張する、「大丈夫」との発言があったか否か、吹き付け指示の内容は何か、さらに、後記のとおり所論が事実誤認を主張する、右吹き付け指示と作業員らの死亡の結果との因果関係の有無は、被告人が緊急退避をさせる措置をとらなかったことが明らかな本件においては、過失の成否に関係のない事柄といわねばならない。
ただ、原審以来争点の一つとされ、犯情に関係するとも考えられるので、所論に即して検討しておく。
(一) 「大丈夫」との発言の有無について
「大丈夫」との発言については、原判決が説示するとおり(原判決書六〇頁ないし六二頁)、奥山の証言するところが信用できるといえる。所論は、奥山が自らの責任を回避するため被告人に不利な証言をしていると考えられる旨いうが、奥山が引き上げの指示を出した直後に、被告人の二回目の「吹き付け云々」の内容を含む電話があったことから、それだけ印象に残り、しかも、本件発生直後から奥山は一貫して同趣旨の供述をしていることからして、奥山があえて内容を偽って供述しているとは考えられない。右発言を否定する被告人の供述は、奥山との問答を明確に記憶していたものか疑問があり、また、被告人の電話を聞いていたという改修事務所の西尾孝規の証言についても、必ずしも明確に聞いていたわけではなく、短い発言のため聞き逃したり記憶に残っていないということも考えられ、いずれも奥山の証言より信用性が低いといえるのであり、当審での事実調べの結果によっても、奥山の右証言の信用性は肯定できる。
(二) 「吹き付け」の内容について
ここで改めて、被告人の発言にある「吹き付け」の内容を特定することの意味について触れると、前記のとおり、本件で過失とされているのは、緊急退避させるべき注意義務に違反して退避をさせなかったということであるから、右の吹き付けがたとえ作業工程上の通常の吹き付けであったとしても、それが緊急退避の指示を含むものでないことは明らかであって、右注意義務を果たしたことにならないので、過失を否定することはできない。そうすると、右吹き付けの内容を詮議することは、被告人の過失の成否に関係ないことであるといわねばならない。
ただ、念のため検討しておくと、被告人が、奥山に対して「吹き付けをして下さい。」との発言をしていることは明らかであるが、その吹き付けの内容について原審以来争いがあるところ、右発言を聞いた奥山は、作業工程上の通常の吹き付けではなく、作業工程外の特別の吹き付けと理解し、その理解に従った行動に出ていることは明らかである。そこで、被告人自身の認識として、いかなる意味で右の発言をしたかということが問題となるが、この点は、原判決が説示するとおり(原判決書六二頁ないし六六頁)、右発言が出てきた経過からすると、被告人自身としても、作業工程上の通常の吹き付けではなく、作業工程外の特別の吹き付けを意識していたものと解せられる。
所論は、特別の吹き付けと奥山に伝えられたとしても、それが最終的に切羽で作業していた作業員らに伝えられたか疑問であるというので、この点は次の三において検討する。
三 奥山への二回目の電話での吹き付け指示と本件結果との因果関係に関して事実誤認をいう点
1 所論は、たとえ被告人の奥山に対する二回目の電話で吹き付けの指示がなされたとしても、それは、その場に居合わせた野地敦夫、そしてトンネル内の作業員らに連絡に行ったという岩切和也に伝えられていないし、さらにトンネル内の作業員らに伝えられていないから、被告人の二回目の電話での吹き付けの指示が、トンネル内の作業員らの避難に影響を与え、その死をもたらしたという因果関係はない旨主張する。
しかし、前記のとおり、本件での過失は、トンネル内の作業員らを緊急退避させるべき義務の履行を怠り、避難が間に合うように退避させなかった不作為にあり、二回目の電話での吹き付けの指示が、トンネル内の作業員らの避難を妨げあるいは殊更遅らせたということにあるのではないから、右吹き付けの指示が、所論がいうように、作業員らの避難に影響を与えたか否か、その死をもたらすについて因果関係があるかどうかは、本件業務上過失致死罪の成否に関係がないといえる。
ただ、右吹き付け指示がトンネル内の作業員らに伝えられたか否かは、原審で争点となり、原判決でも判断が示されているので、検討しておく。
2 所論は、被告人の吹き付けの指示は、奥山が受けたが、同人から野地に対して伝えられていない旨、さらに、野地から岩切に伝えられていない旨いうが、奥山の野地、さらに野地から岩切への伝達については、原判決が説示するところが是認でき、当審での事実調べの結果によってもそれは変わりがない。特に、野地から岩切への伝達については、もし岩切に吹き付けの指示が伝わっていないとしたら、その後岩切の後を追うようにトンネル内に入って行った野地は、中間立坑付近で留まるようなことをせず、奥山の引き上げの指示を撤回するため、岩切の後を追って迅速に切羽方向へ向かう行動をとったものと考えられるのに、そのような行動に出なかったことは、野地が岩切に吹き付けの指示が伝わっていると考えた証拠といえる。なお、野地から「切羽の吹き付けをして上がってくるように」と言われた吹き付けの意味を、岩切が特別の吹き付けと理解したかどうかを明らかにすることは、必ずしも必要ではなく、岩切からさらに吹き付けの指示を伝えられたトンネル内の作業員らが、その吹き付けの内容をどのように理解したかこそ、重要といえる。
岩切からトンネル内にいた作業員らに吹き付けをするようにと伝えられたことは、岩切がトンネル内の切羽等で作業していたと思われる作業員らと、ロコに乗って中間立坑まで戻って来た事実から裏付けられるといえる。すなわち、野地から言われた吹き付けをするようにとの指示を伝えに行った岩切は、それを伝えたからこそ戻って来たものと考えられ、吹き付けを行うに必要な機械を取りに来た作業員らとともに戻って来て、再度緊急に引き上げるようにとの指示を受けて、切羽方向に引き返して行ったものと推測されるのである。こうして、岩切から吹き付けをするようにとの指示が、トンネル内で作業をしていた作業員らに伝えられたと認められるが、その吹き付けをするようにとの指示を受けた作業員らは、作業工程上の通常の吹き付けは既に終わっているのに、ことさら吹き付けをするようにと指示してきたことから、それは特別の吹き付けをする趣旨と理解したとみるのが自然である。
そうすると、被告人の奥山に対する吹き付けの指示は、野地及び岩切を介して、最終的にトンネル内の作業員らに、特別の吹き付けをするようにとの意味で伝えられたものと認められる。
以上のとおりで、事実誤認をいう論旨は理由がない。
第三 控訴趣意第三の量刑不当の主張について
一 所論は、仮に被告人に過失が認められるとしても、(1)掘削地が満水になる可能性及び仮締切の決壊の可能性を予見することは困難であり、結果発生の予見可能性の程度は低く、被告人の過失が重大であるとはいえず、(2)奥山に対する二回目の電話での吹き付けの指示も原判決のいうような作業継続の指示に当たるものではなく、(3)原判決が安全確保に十分な関心を払っていなかった一つの例として指摘する、仮設道路のかさ上げは容易にできることではなく、それを被告人の不利な情状として考慮することは酷であり、(4)飛島建設の奥山の責任と比較したとき、被告人に対する原判決の量刑は余りに重すぎ、その他本件事故の被害者らの遺族の被害感情、これまでの被告人の生活態度などを考慮すれば、原判決の禁錮一年六月の実刑は不当に重すぎる、というのである。
二 そこで検討するに、本件の結果が、七名もの貴重な人命が失われるという重大なものであることはいうまでもないが、本件での被告人の責任の程度を量るのに重要な、過失の内容及び程度について以下に考察する。
原判決は、量刑の理由において、被告人の過失の内容として、「漫然と作業継続という不適切極まりない指示を出すなどした」(原判決書一〇九頁)と判示し、被告人の奥山への二回目の電話における吹き付けの指示が重大な過失行為に当たると評価しているのであるが、右吹き付けの指示が、単に緊急退避の措置をとらなかったという以上に、退避を妨げあるいは殊更遅らせた危険な行為とまでは、認めることができないことは、前記のとおりであり、本件における被告人の過失は、緊急退避させる措置をとらなかったという不作為にとどまり、いまだ危険で重大な内容の過失とまでいえない。
次に、過失の程度をみると、本件で問われている過失は、仮締切の決壊の危険を予見せず、トンネル内の作業員らを緊急退避させる措置をとらなかったという不作為にあるが、退避させる措置をとらなかったのは、ひとえに仮締切の決壊の可能性を予見すべきなのにそれを予見しなかったことにあり、仮締切の決壊の予見可能性の程度が、過失の程度を左右するといえる。そこで、この点を検討すると、原判決は、「右連絡(小森からの連絡)を受けたころには従前にも増して降雨が激しかったのであるから、現場の状況、すなわち、YP+八・〇〇メートルを超す仮設道路の周囲には一面水が満ち、その水が水門工事現場に流れ込んでいるという状況からすれば、このまま推移すればすぐに仮締切前の掘削地が満杯になることは容易に予想できたというべきである。」(同一〇七頁ないし一〇八頁)と判示する。本件で要求されている注意義務は、作業員らを緊急退避させることであり、仮締切が一旦決壊すれば、トンネル内の作業員らの生命が危機に瀕することは必至であるから、右緊急退避させる義務の前提として要求される仮締切決壊の可能性の予見の程度は、必ずしも高度のものが要求されるとはいえず、前記のとおり、小森からの連絡の時点で掘削地への水の流入の事実を知ったのであるから、仮締切決壊の可能性を予見でき、緊急退避の措置をとるべきであったといえる。しかし、仮締切は、小森からの連絡の後三〇分弱にして決壊しているのであって、仮締切決壊の可能性を予見できたとしても、このように三〇分弱のわずかな時間内に、掘削地内の水位が早い速度で上がり仮締切が決壊すること、言い換えれば、仮締切の決壊の可能性がごく切迫したものであったことまで予見することは、容易でなかったと認められるのであり、原判決がいうように「すぐに掘削地が満杯となることは容易に予想できた」とはいえない。したがって、仮締切の決壊の予見可能性の程度が高かったにもかかわらず、それを看過した過失の程度の重いものとまでは認めることができない。
さらに、原判決は、被告人が当時仮締切の強度を忘れていたことに関連して、「被告人が平素から仮締切の状況、あるいはその安全性について十分注意を払ってさえいれば、仮締切の強度(自らが設定したもの)を忘れるなどおよそ考えられないことである。」(同一〇九頁)、あるいは「被告人が、水門工事現場及び仮締切の安全性の確保に対しこれまで必ずしも十分な関心と注意を払ってきたとはいえない」(同一一一頁)と判示するが、むしろ本件は、台風襲来による非日常的な緊急事態下でのとっさの判断が求められた事案であって、日常の態度とは必ずしも結びつくものではない上、被告人が普段から仮締切による安全性の確保について関心が不足していたとまでは認められない。
以上のとおり、本件の結果が重大であるものの、被告人の過失の内容及び程度がいまだ強い非難に値する重大なものとはいえず、死亡した被害者らの各遺族に対しては既に雇用会社等から補償がなされていることなどを考慮すると、原判決の実刑に処した量刑は重すぎて不当であるといわざるを得ない。
量刑不当の論旨は理由がある。
第四 結論と自判
控訴趣意中量刑不当の論旨は理由があるので、刑事訴訟法三九七条一項、三八一条により原判決を破棄し、同法四〇〇条ただし書により更に判決することとする。
原判決の(証拠の標目)列挙の各証拠により、(罪となるべき事実)として、次のとおり認定する。
被告人は、平成二年四月一日から、千葉県市川市高谷二丁目二一番五号所在の千葉県真間川改修事務所国分川建設課長の職にあり、同県が発注し、飛島建設株式会社、清水建設株式会社等が受注・施工していた同県松戸市和名ヶ谷地先のトンネル掘削工事を含む国分川分水路建設工事の監督等の業務に従事するとともに、国分川及び和名ヶ谷用水路の洪水による溢水が同トンネル内に流入してトンネル内で掘削工事を行っている作業員らに危険が及ぶのを防護するため設けられた同トンネル上流側坑口の締切状の構造物である仮締切を管理する業務を行っていたものであるが、平成三年九月一九日午後四時三〇分ころ、台風一八号の影響による豪雨のため、国分川から氾濫しあるいは和名ヶ谷用水路から溢れた水が、右仮締切前面の水門等の建設工事現場である掘削地内に、その外周を取り囲む仮設道路を越えて流入し始め、同日午後四時五二分ころ、前記真間川改修事務所において、右水門等建設工事を施工していた清水建設株式会社の作業所の工事担当者である小森裕幸から、電話で、「仮設道路を越えて水が入ってきた。水の勢いが強くて簡単に止められない。」旨通報を受けたのであるから、右仮設道路を越えて流入した水が仮締切前面の掘削地内に大量に貯まり、その水圧によって仮締切が決壊し、大量の水が右トンネル内に流入して、トンネル内で掘削工事に従事している前記飛島建設株式会社及びその下請会社等の作業員らの生命に危険が及ぶことを予見し、直ちに、右飛島建設株式会社の現場事務所にいる現場代理人等に指示するなどして、右作業員らをトンネル内の工事現場から緊急退避させる措置をとるべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、掘削地内に水が流入しても仮締切が決壊することはないものと軽信して、右小森からの電話があった以後、右飛島建設株式会社の現場事務所の現場代理人である奥山正人に電話でもって、同日午後四時五五分ころ、「上流の水門工事現場の方で周りにある土手が崩れて、水門工事現場に水が流れ込んでいる。」旨言い、また、同日午後五時ころ、「今後清水建設と直接連絡を取り合って欲しい。まだ大丈夫ですから、切羽の吹き付けをして下さい。」旨言ったのみで、作業員らをトンネル内の作業現場から退避させる措置をとらずに過ごした過失により、同日午後五時一八分ころ、仮締切が前面の掘削地内に流れ込んで大量に貯まった水の水圧で決壊し、一気に大量の水がトンネル内に流れ込んだため、トンネル内で作業をするなどしていた飛島建設株式会社の社員岩切和也(当時二二歳)、同社員高谷成彦(当時二四歳)、同社員松村裕一(当時二九歳)、同社の下請会社である成豊建設株式会社の社員佐藤昌幸(当時四〇歳)、同社員畑中幸夫(当時四三歳)、同社員半田利光(当時六三歳)、同社員原田善一(当時四一歳)の計七名を、そのころ溺死するに至らしめた。
右事実に原判決挙示の各法令を適用し(刑種の選択を含む)、さらに、前記第三の量刑不当の控訴趣意に対して示した理由、及び当審に至り被告人側からも六名の被害者の遺族に対し弔慰金が払われている事情などを考慮して、被告人を禁錮二年に処し、平成七年法律第九一号による改正前の刑法二五条一項を適用して、この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予することとし、原審及び当審における訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項本文により被告人に負担させることとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 松本光雄 裁判官 松浦 繁 裁判官 樋口裕晃)